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大関和 研究室

(本コーナーは、大関ちかの研究家である大沼美雄先生の監修によるものです。原稿・資料等の著作権にはご留意ください。)

NHKから来年四月に始まる朝の連続テレビドラマ「風、薫る」がプレス発表されました。
https://www.nhk.jp/g/blog/7tg8krt-27/


 主人公の大関和(ちか)氏は、私たちの故郷である栃木県北・旧黒羽藩の出身です。彼女は、明治にナイチンゲールの弟子であるマリア・トゥルーが設立した「桜井女学校附属看護婦養成所」に一期生として入学、そして看護学校を卒業し、現在の東京大学医学部附属病院の外科婦長として迎えら、その後、数々の業績を上げられました。そして「日本のナイチンゲール」とまで言われた看護師です。生涯をかけて看護師の技能の向上と制度化に努めました。そして「報酬をあてにせず、行為それ自体が酬いなのだという考え方」等、彼女の基本理念を受け継いでいるのが那須看護専門学校であり、それを前身として私たちは「私立那須短期大学看護学科」を立ち上げようとしています。

大関和.明治36年4月発行「女子之友」より引用、AI処理

大関和(右端)女子学院HPより引用しAI処理

実地看護法
『実地看護法』第5版(大正15年1月12日発行)
      国立国会図書館所蔵本からの全文文字起こし本文データベース(大沼美雄)
大関和著 派出看護婦心得
大関和著作集Ⅱ(単行本の部Ⅱ)
   『派出看護婦心得』第6版(大正8年11月15日発行)
            国立国会図書館所蔵本からの全文文字起こし本文データベース(大沼美雄)

大関和著作集Ⅲ(単行本の部Ⅲ) ただいま作成中
  『家庭看病法』(大正5年9月12日発行)
  秋田県由利本荘市立図書館所蔵本からの全文文字起こし本文データベース(大沼美雄)

   

  

『婦人矯風雑誌』第二十九号、 六頁。 明治二十三年九月二十日発行

1 大関書簡(明治44年・1911年 8月28日付)

 大関(1858~1932)自筆の手紙。なお、宛先は黒羽の黒羽田町の五月女恕助(黒羽町長、1848~1913)である。

2 大関書簡(明治44年・1911年 9月 1日付)

 大関(1858~1932)自筆の手紙。なお、宛先は黒羽の黒羽田町の五月女恕助(黒羽町長、1848~1913)である。

3 大関書簡(明治44年・1911年 9月 3日付)

大関(1858~1932)自筆の手紙。なお、宛先は黒羽の八塩の三田就吉(黒羽の町医者、1872~1833)である。

上記の3本の大関和自筆の書簡は当時我が国の代表的な看護婦会であった大関看護婦会、 大関和(安政5年4月10日~昭和7年5月22日)が会長をつとめていたその大関看護婦会が那須郡黒羽町の町長五月女恕助宅に明治44年に行った派出看護、 その中身を今に伝えてく れている我が国の看護史史上非常に価値の有るたいへん貴重な史料です。 明 治44年8月下旬、 旧黒羽藩士大野尚綱の娘大野ウノが大関和に「黒羽の五月女家に急病人がいるよ」との電話を 掛けました。 上記の派出看護はその1本の電話から始まっております。 なお、 五月女家は黒羽町八塩の三田医院の三田就吉先生をかかりつけとしておりました。 9月3日付の手紙は大関看護婦会 とかかりつけ医とのやり取りを今に伝えてくれているたいへん貴重なものです。

小林華平『下野勤皇列伝』後篇(昭和19年 1月31日)
『下野勤皇列伝』後篇に見える大関和の父の伝、但し「父を」は「祖父を」の誤りである
『婦人新報』第104号(明治38年12月25日)表紙
『婦人新報』第104号(明治38年12月25日)
『家庭之友』第4巻第12号(明治40年3月3日)表紙
『家庭之友』第4巻第12号(明治40年3月3日)